宇多田ヒカルと母・藤圭子の親子関係や共演は?愛憎人生

宇多田ヒカルさんの母「藤圭子」さんとの親子関係や共演についてしらべました!

藤圭子さんのプロフィール

藤圭子さんの本名は宇多田純子(うただじゅんこ)歌手の宇多田ヒカルさんの実母です。

1951年7月5日生まれで、18歳で歌手デビューしました。

ファーストアルバム「新宿の女」はオリコン20週連続1位を記録するなどデビュー直後からヒットを量産し続けました。

かわいい見た目とは裏腹な力強いハスキーボイスでの歌唱力の評価は非常に高く、その見た目とずば抜けた歌手力で演歌歌手ながら若い世代にも人気がありました。

人気絶頂期に歌手の「前川清」結婚するが翌年スピード離婚してしまいます。

その約10年後、音楽プロデューサーである宇多田照實さんと結婚しますが、宇多田照實さんとはその後7回の離婚・再婚を繰り返しました。

宇多田照實さんの間に生まれた一人娘が人気歌手である「宇多田ヒカル」さんです。


とても面影を感じます。

藤圭子さんは2013年8月22日に転落死し、享年62歳でその人生の幕を閉じる事になりました。

藤圭子さんと宇多田ヒカルさんの親子関係

藤圭子さんの死因は転落死(自殺)とされていいます。

藤圭子さんは長年うつ病を患っていたのは有名な話で、亡くなる7年前以前のインタビューでは睡眠障害、摂食障害を告白しており、心身共にボロボロであった事が分かります。

なぜ夫も子供もいるのに?と思うかもしれませんが、夫である宇多田照實さんがうつ病である事を確信し、病院での治療を勧めた事がありました。

しかし、藤圭子さんはそれを聞かず、宇多田照實さんに不信を抱くようになってしまい、結局治療を受けさせるには至らず、藤圭子さんは最期の時まで精神疾患で苦しむ事になってしまいました。

宇多田ヒカルさんも母藤圭子さんに対してのコメントで「本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、母のために何が一番良いのか、ずっと悩んでいました」と語っています。

精神的に不安定な部分はあったものの、宇多田ヒカルさんが生まれた頃は普通の親子関係でしたが、宇多田ヒカルさんが5歳くらいの頃から攻撃的な発言が目立つようになり、いつのまにか夫である照實さん、ヒカルさんも攻撃の対象となってしまったようです。

ヒカルさんに急に厳しい言葉を投げかけ、その数分後には「ごめんね。。。」と反省を見せるなど、うつ病の典型的な症状が出ていたようです。

そんな不安定な関係ながらもなんとか親子関係を続けている中、娘の光(宇多田ヒカルさんの本名)が宇多田ヒカルとして、音楽シーンに鮮烈にデビューし、記録的大ヒットを飛ばし一躍有名になりました。

そんな中、宇多田ヒカルさんが稼いだ膨大なお金を巡り両親は対立し離婚する事となり、宇多田ヒカルさんは不安定な母と2人暮らしする事になりました。

デビューして3年後くらいのある日、感情的で不安定な母に対して今までうまくかわし、抑えながら頑張っていた宇多田ヒカルさんですが、ほんのしたキッカケから「もう出て行って!」とキレてしまう事があり、それを機に別居状態となりました。

普通の家庭ではよくあるちょっとした親子ゲンカですが、母である藤圭子さんはこの一言をこの後ずっと「娘に嫌われているから家に帰れない」とひきずり、2人が再び同居する事はありませんでした。

3人家族はバラバラになってしまったのです。

母藤圭子さんの死後、宇多田さんはオフィシャルサイトにてこう語っています。

私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした。

母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです。誤解されることの多い彼女でしたが… とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。

悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。沢山の暖かいお言葉を頂き、多くの人に支えられていることを実感しています。

出展:宇多田ヒカルオフィシャルサイトから抜粋

子供の頃からおそらく、辛く大変な思い出が多かったと思いますが、思い浮かぶのは「母の笑顔」なんですね。

※追記
2020年「マツコの知らない世界」の中で母の影響で時代劇が好きだと語っており、こんな所にも母の影響があるんですね。

藤圭子さんと宇多田ヒカルさんの共演

藤圭子さんと宇多田ヒカルさんのテレビ番組の共演は残念ながらありません。

テレビ共演ではありませんが、父宇多田照實さんと母藤圭子さん、宇多田ヒカルさんの家族3人で結成したU3というユニットがあります。

これは宇多田ヒカルさんが9歳の時のユニットなので、決してうまくいっている家族関係とは言えない中、結成された事が分かります。

「STAR」というアルバムですが、背景を知って聴くとまた違う面があるかもしれません。

宇多田ヒカルさんは母の藤圭子さんを想い書いた曲はくつかありますが、「Be My Last」という曲には直接「お母さん」という歌詞が出てきます。

母さんどうして
育てたものまで
自分で壊さなきゃならない日がくるの?

出展:宇多田ヒカル Be My Last 歌詞

「宇多田ヒカルさん藤圭子さん」まとめ

以上、宇多田ヒカルさんと藤圭子さんの親子関係・共演についてのエピソードでした。

すごく切ない話が多かったですが、藤圭子さんのエピソードの中には、小さいヒカルさんに対して仕事で出かける時は置き手紙を置いていったり、仕事が終わると「ヒカルが寂しがっているから」とすぐに帰ったりするなど母親として愛情溢れるエピソードもたくさんあります。

感情が安定しない中でも宇多田ヒカルさんに対する愛情は間違いなくあったのが伝わります。

だから、ヒカルさんも母親を思い浮かべる感謝や愛情が生まれてくるのでしょうね。

最期までご覧いただきありがとうございました!

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする